コロナ禍に見る意思決定の課題 2

「コロナ禍に見る意思決定の課題」1の続きです。



意思決定の目的やゴールをある程度明確にする必要があります。何がゴールであるか明確でない場合は議論が発散しやすくなり、その結果生まれた行動の解釈もしづらくなります。もちろん世界的なパンデミックであり、不確定要素も多く、さらに国際的な影響を強く受けますが、その一方で国内のことは自分たちで決めることができます。


防疫の「結果」をどこに設定するのか 

前の記事で述べた「医療崩壊を起こさないこと」がゴールであるならば、医療崩壊の定義が必要でした。定量的である必要はありませんが、詳細である必要はあります。そうであってはじめて具体的な行動についての議論が可能になります。


また、「どれくらい減ったら日常に戻れるのか」を議論することはむしろ今現在重要になっています。そうでないと、緊急事態宣言を解除する説得力のある理由を見つけることができません。 


一方、完全にリスクフリーの状況を作り出すことは非現実的であるため、「直近〇日で把握された新規患者数が〇〇人以下である」などが判断基準になると考えられます。そこでなぜ〇〇人なのかは、新規の感染者も含めて、医療資源で正常かつ継続的に対応できる人数である必要があります。 



自粛要請「施策」の効果検証の必要性 

世界のどこでも、拡散を食い止める主な手段は社会的接触の減少です。もしウイルスの生残日数が3週間であったならば、その3週間+αの間いかに社会的接触を防げるかが防疫の重要な観点です。 特に今回のような場合は、限られた人でなく、全ての人が行う必要がありますが、これにも濃淡や程度があります。 


大半の国では、主にロックダウンと呼ばれる、罰則付きの禁止や制限を通して実施されています。一方、日本では自粛要請の形で行われています。自粛要請がなぜ有効なのかは文化的な背景を含めて考察する必要がありますが、自粛要請といえども歴とした政府の施策です。そこには達成したい効果があるはずであり、そうであって初めて目的や期間を論じることができます。


また、特に自粛施策が期待通りの成果をあげられない場合は、自粛施策の誤りであり、自粛が有効だと考えた事実について再確認することが必要です。つまり、事前に思っていたより社会はどうも複雑だ、ということになります。また、より強制力を持つ施策を嫌う日本の言論風土にも課題がある、ということになるでしょう。 


 一般に、自粛がもっとも有効なのは「オープンな行動」に対してと考えられます。ディズニーリゾートは早々と休業を決めましたが、知名度が高かったり多くの人が利用する外出先は社会的影響を考慮するため、自粛の効果が顕著です。また、知名度が高い場所は必然的に自粛する余裕があるため、より自粛しやすいとも言えます。 また、本人の社会的立場にもよります。感染して職場に迷惑がかかったり、自粛破りと思われてしまうなどのリスクを考えなければならない立場の人はそれだけ自粛しやすくなります。 


反面、芸能人の感染例に見られるように、もともとオープンでない行動には自粛の影響力は限定的です。また、感染の社会的リスクが低い層は自粛に対する強制力が低くなります。自粛施策は全体で行わなければ意味が薄い以上、何らかの対策が必要になります。 


今回のようなパンデミックの場合、社会のあらゆる場所が感染源になりえるため、自粛効果が見えづらい場所についても人がどう動くかを検討できなければ、自粛が最良の施策であるかを把握できません。よくわかっていないものについて対策を立てることはできません。 


 また、いろいろなタブーによって、特にマスコミ等でオープンな議論を行われていないものについては、報道が少なく、結果として少ないといった事情もあるでしょう。 タブーや規制を排した議論は意思決定に不可欠です。


問題は、この困難な時期にこそ、感染源になりえる全ての場所について、意思決定の場である程度バランスよく議論できているかどうか確認することが必要です。特定の店舗などの場所もそうですが、満員電車などについても、その妥当性を踏まえて検討すべきでしょう。また、運転手や接客業、貧困層など、感染リスクの高い層に向けた対応も必要です。


いまは感染者数が増え続けていますが、いずれ減り始めた段階でこそ、感染源になりやすい場所の洗い出しと対策は特に重要な観点になってくると考えます。

ヨカヤム

「現場を助ける、人を活かす」データ利活用